罪に対して死ぬ事とは

  • 説教:鄭有盛 牧師
  • 手話:餘永 姉妹、谷麻理 執事
  • 教会:東京東部教会
  • 日時:2018.01.28

イザヤ書 53:1-11、ローマ書 6:1-11

【イザヤ書 53:1-11】
1. わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
2. 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
3. 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
4. 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。
5. 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
6. わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。
7. 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。
8. 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。
9. 彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。
10. 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。
11. 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

【ローマ書 6:1-11】
1. では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。
2. 決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。
3. それともあなたがたは知らないのですか。キリスト․イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
4. わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から复活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
5. もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その复活の姿にもあやかれるでしょう。
6. わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
7. 死んだ者は、罪から解放されています。
8. わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。
9. そして、死者の中から复活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。
10. キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
11. このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト․イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。