聖なる一光とやみとを区別された(2019.11.17)

  • 説教:鄭有盛 牧師
  • 手話:谷麻理 執事
  • 教会:東京東部教会
  • 日時:2019.11.17

創世記 1:1-5、ヨハネ福音書 3:17-21

【創世記 1:1-5】
初めに, 神が 天と 地を 創造した.
地は 形がなく, 何もなかった. やみが 大いなる 水の 上にあり, 神の 靈は 水の 上を 動いていた.
そのとき, 神が「光よ. あれ. 」と 仰せられた. すると 光ができた.
神はその 光をよしと 見られた. そして 神はこの 光とやみとを 區別された.
神は, この 光を ¿と 名づけ, このやみを 夜と 名づけられた. こうして 夕があり, 朝があった. 第一日.

【ヨハネ福音書 3:17-21】
神が 御子を 世に 遣わされたのは, 世をさばくためではなく, 御子によって 世が 救われるためである.
御子を 信じる 者はさばかれない. 信じない 者は 神のひとり 子の 御名を 信じなかったので, すでにさばかれている.
そのさばきというのは, こうである. 光が 世に 來ているのに, 人¿は 光よりもやみを 愛した. その 行ないが 惡かったからである.
惡いことをする 者は 光を 憎み, その 行ないが 明るみに 出されることを 恐れて, 光のほうに 來ない.
しかし, 眞理を 行なう 者は, 光のほうに 來る. その 行ないが 神にあってなされたことが 明らかにされるためである.